【レポートvol.006】「金子文子 何が私をこうさせたか」舞台挨拶

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小倉昭和館です。
R8.5/23(土)にて開催いたしました【「金子文子 何が私をこうさせたか」舞台挨拶(浜野佐知監督/山﨑邦紀さん)】のイベントのご報告です!!

イベント

「金子文子 何が私をこうさせたか」舞台挨拶

日にち

2026.5/23(土)

ゲスト

浜野佐知監督
山﨑邦紀さん

関連映画

・金子文子 何が私をこうさせたか



かつて帝国主義国家だった日本に抵抗し23歳の若さで獄死した社会活動家、金子文子を描く「金子文子 何が私をこうさせたか」。監督の浜野佐知さんも初日に来館。「泥の中を這いずり回りながら言葉と思想をつかみ取っていった文子の生き方を、今の若い人たちにも是非知ってほしい」と挨拶しました。

金子文子の生涯

文子は1903年、横浜生まれ。両親からは出生届を出されず「無籍者」として育ち、9歳で当時日本の植民地だった朝鮮に住む祖母に引き取られたものの、奴隷同様の虐待を受け自殺も図ります。1919年起きた「3・1独立運動」に代表される、日本による過酷な植民地支配と朝鮮人への弾圧も目撃します。
17歳で上京。独学しながら無政府主義者・虚無主義者として帝国主義政策に抗議する活動を開始しますが、関東大震災の混乱下で検挙され、皇太子爆殺を図ったとの架空の容疑で、恋人で同士である朴烈と共に大逆罪で死刑判決を受けます。
やがて恩赦で無期懲役に減刑され、送られた栃木の女子刑務所で反省と転向を迫られますが一貫して抵抗。独房で覚悟の自死を遂げます。映画は文子が残した獄中手記や短歌、当時の裁判記録をもとに、死刑判決から自死までの121日間を中心に文子の短い生涯を描きます。

監督・浜野佐知

浜野監督は1948年生まれ。71年に23歳でピンク映画の監督になり「女の性を男が消費するのではなく、女の性を女が取り戻す」テーマを持って多くの作品を手掛けてきました。96年ごろ文子の獄中手記を読み、文子の「ふつふつと起ち上る怒り、絶望、反逆の気持ちが心の中に入ってきた」と言います。
「かつて日本の映画監督の条件は大卒男子に限られていました。高卒女子の私はなれっこなく、ピンク映画の世界に。96年、東京国際女性映画祭で『日本の劇映画の女性監督で最多本数を撮ったのは田中絹代の6本』とアナウンスされ、それまでに200本を撮影していた私は愕然とした。ピンク映画界という泥の中で監督になり自分の思う作品を築きあげてきた自分と文子の手記が重なりあったんです」
文子の反骨精神と孤独に加え、女性同士の連帯や未来への希望を描きたかったと浜野監督は言います。転向を迫る国家に抗して、文子はハンガーストライキなどで徹底的に抵抗。国家の側に立つ女性看守たちも文子に寄り添いの心を示すようになります。文子を慕う未成年の女性囚に文子が書くこと考えることの大切さを説き、肌身離さず持っていた万年筆を譲る場面もあります。
映画は昨年3月に完成。文子の没後100年にあわせて今年公開しました。「公開を待っている間に日本という国が、文子の闘った時よりもちょっとひどい、底が抜けきってどうにもならない状況になってきている。今こそ人間は平等であるという文子の思想を日本という国にぶつけたい。文子はたった一人で国家に喧嘩を売った女。私もこの映画で日本という国に喧嘩を売る覚悟です」。浜野監督はそう締めくくりました。

【文・写真/K・I】